toggle
2019-09-10

サンフランシスコ 夜の彷徨 (2005年)

サンフランシスコ パウウェル・ストリート

チャイナタウンが宿から10分ほどの距離にあり、そこで遅い食事を済ませた後カメラを肩に夜の街を歩いた。遅い時間もあってか日中の賑やかな繁華街とは対象にメインストリートは至って静かだ。誰も居ない風景の中で縦信号だけが反復運動を無意味に繰り返している。  ライカM5  T-MAX(35mm)モノクロ増感

 

2005年7月、私が27歳の時にカリフォルニア州サンフランシスコへ向かった。テキサスのヒューストンへ写真展を観に行くための経由地として。

時はちょうど愛知万博で盛り上がっている最中で、私はイベントの記録写真班としてほぼ毎日の様に万博会場へ通っていた。そんなある日、書店で1冊の写真集を見つける。それはアメリカの風景を連ねた写真集だった。うら寂しい暗いトーンの連続。雨に濡れたフロントガラス越しに撮られた写真は涙を留めた悲しみの感情を想像させた。

この写真はいったい何?

妙に高ぶる感情をそのままに作者のウェブサイトから感想のメールを送った。すると翌日に返事が来た。「ヒューストンで写真展がある」との知らせも合わせて。

 

ヒューストン クローフォード・ストリート

テキサス州のヒューストンに夕方到着した。バスに乗ったが自分の英語が全く通用せず知らない場所で下車。これがテキサス訛りというやつか?ストリート名も全く通じない。地図を頼りに歩く。数人の通りすがりに道を聴きながら目的地のホテルまでかなり遠回りした。 ライカM5  T-MAX(35mm)モノクロ増感

 

万博の記録で忙しかった最中、「写真展を観にアメリカに行きたい」と師匠にかけ合ったが厳しい反応だった。それは当然なもので仕事を放棄して遊びに行くようなものだと自分でも思っていた。半ば諦めかけてチーフカメラマンのHさんに相談したところ、「ヒシキの代わりに撮影するから行かせてやってほしい」と師匠を説得し休暇の許可を取り付けてくれたのだった。

「行ってこい」そう言って背中を押してくれたHさんと師匠には感謝しかない。

 

ヒューストン

深夜、いくつかの通りを歩き回り撮影ポイントを見つけカメラを三脚にセット。 露光時間も少なからずかかる。深夜の異邦人、こんな怪しい行動は職質ものだろう。 リンホフテヒニカ  ポートラ160(4×5)カラーネガ

 

アメリカから帰国後、その旅での出来事を写真展『INMAN』で発表している。

 

フリーウェイ288にさしかかる頃には既に夜の10時をこえていた。

眼下に流れるヘッドライトの光は、ダウンタウンの遠い光へとリズミカルに流れている。
やって来る音と遠ざかる景色。その組み合わせに、いつか観たモノクロ映画のワンシーンを重ね合わせていた。

「しかし分からん、、、あんたもそうとう物好きだな。」

背後でゲイブが言った。

「写真展とやらを観るために、日本からわざわざテキサスまで来ちまうなんて。いったいその写真に何が写っているんだ?」

その言葉には、わたしの行動に合点の行かないといったいぶかるものとは逆に、ある異邦人の呆れた行動を楽しんで見ているような節があった。

 

住宅街を抜け、ある道と交差する地点に到着するとゲイブは立ち止まった。通りの名前を確認すると、どうやら目的の場所まで来たらしい。振り返った彼の顔は、街灯を逆光にして黒い顔をさらに黒くつぶしていた。

そのとき一瞬、白い歯が動くのを見た。

何か言葉を発したのか、しかしその声は脇を通過する車のけたたましい騒音にかき消され、うまく聞き取ることができなかった。

 

 

 

 

 

 

 

多くのサポートもあり、写真展の会場にはたくさんの方が来ていただき感想も頂いた事を思い出す。皆の写真を観ている姿を見たら、徹夜で写真をプリントし夕方から翌朝まで会場設営した疲れなど一気に吹っ飛んだ。

また写真展をやろう。

そう決意を新たに、今後は取り組みたいと思う。

関連記事