先日、隣の県の親戚宅をたずねたときのこと、
親戚数人と雑談していると、伯父が思い出したかのように隣部屋の奥から1冊の黒いアルバムを持ってきた。アルバムの表紙には小さな窓があり、そこには群生するコスモスの花が風に揺れている写真が入っている。
その、ちょっと色褪せたコスモスの写真。今の自分ならアルバムの表紙に持ってくるだろうか?ふとそう思った。
今は亡き、私の祖母を撮影した写真。
六切り写真を台紙にして記録したのです。
後日、ポジの記録を読むと撮影は2001年と書いてあったのでちょうど20年前の事。
一本のスリーブを抜き出して明かりにかざしてみると仏間に座る祖母をたくさんの方向から撮っている。なんと祖母が写っていない写真もある!(笑)ずいぶんと荒削りな写真だな、と思う。
当時私は23歳。祖母は何歳だったのかな、今度聞いてみよう。
「この表情が懐かしい」と、よく両目をつむる祖母の仕草を皆で思い出していました。
自分が撮った写真。
今は亡き祖母の姿を写真で見ているわけですが、20年経過した写真でありながら、そこには空間や時間さらには祖母の息遣いまで感じられる写真の不思議。さらにはカメラを持つ自分自身の息遣いまでそこに感じてしまうのです。