普段はお客様からの依頼で写真撮影を行なっていますが、私個人的な写真活動として過去に数回ほど写真展を行なってきました。
その中で一番最初に行なった写真展は2005年。
私が当時27歳の時にアメリカの風景を写した写真による写真展を名古屋で行ないました。
その頃は名古屋の郊外にあるコマーシャル専門の写真スタジオへ勤めていて、2005年日本国際博覧会『愛知万博』の記録写真班として広い会場内を奔走していた時期。
ある日、仕事帰りに書店へ立ち寄り何気なく写真集を眺めていると、枯れた荒野の風景を表紙にした写真集に目が止まりました。
手に取ってみると、その荒野の写真にはどこか自分の記憶に風が吹くような、、、そんな不思議な感じがしたのです。この感触はなんだろうか?と思いながらページをめくると、その感触は感動となって確かな実感を得る自分がいた。
思いもかけず良い写真に出会えた。この喜びを伝えたいと思うのも常でして、早々にこの写真を写したアメリカ人写真家のホームページを辿りメールを送ったのは言うまでもありません。
今ではその内容を覚えてはいませんが、確か「あなたの写真のトーンには言葉にはできない感動があります」と言う感動と感謝をつたない英語で綴った内容だったと思う。
ただ自分の思いを伝えたかった一人の日本人からの感想などいちいち気にしないだろうと思った。
すると、数日後に返信が帰ってきた。
そこには私からのメッセージのお礼の文面と、その後に「この写真集に関する写真展がテキサスで開催されるから観に来てください」との内容が書かれていたのです。
本人からのメッセージに驚きと嬉しさに高揚した気分そのままに、「このテキサスでの写真展に行くしかない!」と、思いを強くもった瞬間でした。
ただ、愛知万博の記録写真班の担当として連日、万博会場に通っていたのでその撮影をほっぽり出して海外へ写真展を見に行く事が出来るのか?仕事と写真展をどちらを優先すべきか?プロとしてはもちろん仕事だろ?いや、写真展を観に行くべきだろ?というアンビバレンツな感情に揺れた。
随分と悩んだが結局、「どうしても写真展に行きたい」という気持ちの整理をつけてスタジオ代表へ直談判。
結果、けんもほろろに退けられたのでした。
「こんな忙しい時期に海外へ写真展?言語道断だ。」と。冷静に思えばそうだよな。と思ってはみたもののどうしても写真展の事が頭から離れず悶々とする時間が続く。そんな中、チーフカメラマンだった先輩にこの話を聞いてもらったところ、「写真展に行けるように俺から代表には話をしておくから、お前は写真展に行ってこい」と。仕事のフォローも含めて言葉をかけてくれたのです。
先輩の後押しで休暇の許可を得る事ができ、テキサスへの道が開かれた。
それはまた、後に私自身が開催する写真展への道筋が開かれた瞬間でもあったのです。
深夜の街角でセルフィー
つづく